7月16日(火)「チャペル・アワー」

投稿日:2024.07.18  チャペル・アワー

聖書箇所『旧約聖書、詩編86編11節、 新約聖書、ヨハネによる福音書14章6節』

本日は、原市教会牧師の林原泰樹先生をお招きしました。奨励は「道」と題されたものでした。

 原始の地球上には「道」は存在していませんでした。人が必要としていたので「道」は作られたのです。そして、それを使うのも使わないのも人の意志にゆだねられていました。全ての人は、神様から平等に【自由に生きる意志】を与えられています。そのため、どの道を進むのか、あるいは道を使わないのか、それとも道なき道を進むのか、全ては人の自由意志です。つまり「道」とは、一人ひとりの心の中から生まれて、創られるものなのです。この事は、人生で進む「道」、つまり自身の進路選択でも同様なのではないでしょうか。

 世間では「運命」があると言って、まるで人生が決まったものであるかのように言うことがあります。しかし、神様は私たちに、自由意志を与えてくださいました。私たちは、命令で動くロボットなどではありません、自由意志を与えられた存在なのです。だから、責任は自分自身にありますし、失敗した場合には全て自己責任なのです。私たちの社会生活には「運命」はありませんが、「コース」のようなものはあると言えます。学校で学び、職業を得て、働いて生活を送る、そのような、「コース」は多種多様に存在しているでしょう。これは、人が社会生活を営む上でのモデルと言えるかもしれません。では、その「コース」の先にあるものに向かうにはどうすれば良いのでしょう、人は未来のことを知る事は出来ません。

 人生を歩むことを「手こぎのボート」で進むようなものだと例えた話があります。手こぎのボートは、後ろ向きに進むものです。後ろ向きで正しく進むためには、多くの情報が必要です。しかも正しく案内をするガイド役が必要でしょう。多くの場合は、家族や友人、学校の先生などが、このようなガイド役となり、人生の選択の時には相談にのってくださったのではないでしょうか。私たちが、人生という名の「道」を進むときには、全て分かっているところを行くのではありません。人生では、初めての場所で、未知の経験をしなければなりません。そんな時にこそ、聖書や信仰が最良の助けになるのです。本日の聖書箇所には、[ イエスが言った「私は道であり、真理であり、命である。」]とあります。これは、「イエス・キリストの生き方こそが、私たちが進むべき指針となるのだ、そして人生における最良の目標なのである」と語られているのだと思います。そのために、私たち自身が素直に心を開き、イエスの言葉に耳を傾け、実践してゆくことこそが重要なのではないでしょうか。

 短大の学生として学ぶのは二年間で、学生時代はあっという間に過ぎて行きます。新島短大で学ぶ皆さんには、この先にまだまだ長い人生が待っています。皆さんが社会人となる前に、御自身が選び取り進んでゆく生き方を考える良い機会となりました。林原先生、本日は貴重なお話しをありがとうございました。