7月23日(火)「学生チャペル」
投稿日:2024.08.06
7/23(火)、「学生チャペル」
聖書『新約聖書、ローマの信徒への手紙8章18節』
【思うに、今この時の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光と比べれば、取るに足りません。】
今年度2回目の「学生チャペル」です。前回の学生チャペル同様、聖歌隊の皆さんとともに、司式、奏楽、奨励、祈祷などチャペルのほとんど全ての役割を学生代表が担当してくださいました。今回は、お二人ともがご自身の内面にあるさまざまな葛藤と、それに立ち向かった体験談を語りました。聖歌隊による奉唱に加え、オルガニストクラブのメンバーが作詞したオリジナルの歌の奉唱もあり、学期の最後を飾るに相応しい素敵なチャペルになりました。
【止まった時計】
私たちは普段、「時間」は誰にでも平等に与えられていて、永遠に続くものと考えがちです。コミュニティ子ども学科2年生の下田鈴菜さんは、昨年、大切なご家族との辛い別れを経験しました。その時に感じた「時間」の大切さについて語りました。下田さんは、昨年、尊敬するお父さんを亡くしました。お父さんは、毎日朝早くから夜遅くまで働く生活の中でも、休日には手料理をふるまう優しい人柄だったそうです。下田さんは、そんなお父さんが大好きでした。ところがお父さんは、ある病気に罹っていることが分かりました。ちょうど高校生、今後の進路選択の問題など、思春期特有の悩みも多く、お父さんと会話をする時間はますます減っていきました。その時の状況をご本人は『突然の出来事で、その事実を受け止めたくない気持ちが大きく、必死に目を瞑って逃げていた』と語りました。
病気が発覚してからは、お父さんは以前のように朝から晩まで働くことは無く、皮肉にも、家族4人で過ごす団らんの時間は増えたそうです。しかし、そんな小さな幸せも束の間、昨年の5月にお父さんは亡くなってしまいました。下田さんは、新短に入学したばかり、そうでなくても不安の多い毎日です。実感を得ることは難しく、“早すぎる”、“これは現実ではない”、のような言葉ばかりが浮かび、現実を受け入れられませんでした。しかし、あることをキッカケにまた歩みを進めることになるのです。 「母と弟と私だけで家に帰った時、家族で過ごす時間が止まってしまったように感じました。葬儀の段取りが一段落し、このままくよくよしてばかりではいけない、気持ちを切り替えなくてはならない、と考えていました。しかし、なかなか思うようにはなりません。49日が過ぎて、納骨の日になりました。いつも通りに起きて、リビングに行って時計を見ると、朝6時半のままで、時計の針が止まっていました。何分経っても時計の針は動きません。私はとっさに、これは父が家族みんなといたくて時計を止めたのに違いないと感じました。そして、『パパはここにいるぞ』、という声が聞こえたように思いました。時計を止めることで、家族は一つだというメッセージを伝えてくれた父に、私は涙が止まりませんでした。
一般的に「時間」というものは、当たり前にあるもののように感じます。しかし、「家族の時間」と言ったりする私たちが使える「時間」は、決して無限ではありません。私は父の死を経験し、神様から与えられた「時間」を使うことは奇跡でもあると考えるようになりました。普段何気なく過ごす日常は、与えられた時間の一コマに過ぎません。しかし、その一コマ一コマを大切にし、真摯に時間と向き合うべきなのだと思うようになりました。最後に次のように語りました「私は今、学生生活という限られた時間を無駄にせず、毎日真剣に取り組んでいるよ。学生にしか出来ないことや自分がやりたいことを、悔いのないように挑戦しているよ。と胸をはって父に報告したいです」本当の辛さを経験した方のみが持つ力強さを感じるお話しでした。下田さんありがとうございました。
【直感】
キャリアデザイン学科2年生の林拓真さんは、これまでの人生において、特にこれといった強い思いがあって物事を選択したことがありませんでした。ご自身は、その事を自己分析して言うには「良く言えば慎重で、周りの様子に合わせられる、悪く言えば、物事をネガティブにとらえて優柔不断で、自分に自信が無い」、さらに「自分が本当は何をしたいのかが良く分からない」というものでした。そんな状態でしたから、高校生の時にも、充分に進路選択・進路対策をしたとは言えませんでした。担任の先生の言うままに受験した志望校には、残念ながら合格できませんでした。本人からしてみれば、「本当にやりたいことが見つからないのだから、不合格になるのも当然と言えば当然」でした。そんな林さんを見て、担任の先生は新島短大を薦めてくれたのだそうです。
その時に林さんが担任の先生から教えてもらった新島短大の情報は、『就職にも編入にも強い短大』のキャッチフレーズでした。恥ずかしながら、キリスト教主義教育や、校名の新島が、新島襄からいただいていることなどは知りませんでした。しかし進学してみると、教職員の方々は親身になって接してくれる学園で、学業やもちろん、学園生活のことにおいても学生の心に寄り添ってくれる、とても居心地の良い学校でした。しかも、友人にも恵まれて楽しい学生生活を送ることになりました。
学年が進み、次の進路について考える時期になりました。就職をしようと考えましたが、大学入試の頃と同様で、どんな職に就けばいいかわかりません。そんなときキャリアセンターの方から合同企業説明会への参加を勧めていただきました。とりあえずどんな企業があるか調べてみようと、比較的興味のあった製造業のブースを中心に回ってみました。いろいろ見て回り、いくつかの企業の説明を聞く中で、ある企業のことが気になりました。そこは、生活排水や雨水を流す下水道の、維持・管理をする企業でした。
林さんは次のように語りました。「一般的に水の管理といえば社会インフラを扱う会社です。しかし、生活排水や雨水の管理と言えば、大きな仕事であるとともに『キツイ、危険、汚い』といういわゆる3Kのイメージがあります。多くの人は就職をためらうかもしれません。しかし、その企業の説明を聞く中で、必要な資格を取るためには会社として応援してくれるなど、言葉の端々に社員を大切にしているという雰囲気を感じました。そして、下水道が使えなくなるということは、自分一人だけで無く、社会で暮らす多くの人の生活に支障が出ることを感じました。今までの私だったら、おそらく『きつい仕事で大変だろう、私には無理だ』のようなマイナスなイメージを持ち、尻込みしていたでしょう。ところが、今回は不思議とそういう気持ちは出ませんでした。おそらくその理由は、かつて私が進路選択に本気になれなかったのは、その目的がはっきりしていなかった事が大きな要因だったのだと考えました。今回、企業の説明を聞くなかで、なんとなく『自分は社会の中でどう生きて行きたいのか、そのために自分は何が出来るのか』と言うことが明らかになって行くのを感じました、その上での決断でした」林さんは、今回の進路選択で「直感」を信じて決めた、と照れながらも笑顔で語っています。
キリスト教主義学校では、こういう決断の時には『神様が一緒にいて背中を押してくださった』というフレーズを使います。それと知らずに入学した新島短大での生活は、楽しかっただけで無く、充実したものになりました。本人も気づかないうちに、神様の恵みに守られて成長した2年間だったのでしょう。林さん、卒業後の活躍を期待しています。今回はありがとうございました。