7月9日(火)「チャペル・アワー」

投稿日:2024.07.10  チャペル・アワー

聖書箇所『新約聖書、マタイによる福音書25章14~30節』

 本日の奨励者は、富岡市の甘楽教会牧師の石田透先生をお招きしました。聖書箇所は【 「タラントン」のたとえ 】でした。「タラントン」とは金額のことで、かなりの高額をあらわしていると言われています。旅に出る主人から託された財産「タラントン」を、旅から帰ってきた主人に、どのようにして返すかが語られています。主人は返された「タラントン」の額の大小を問うことはしません、同様な言葉でねぎらうのです。ただし、ある一人の僕に対しては違いました。その僕は与えられた「タラントン」を、穴を掘って隠してしまったのです。主人はその僕に対して、与えられたものを全く活用せずに無駄にしてしまったと強く叱るのです。英語で「才能・能力」を意味する「タレント」の語源は、この「タラントン」にあると言われています。

 神様は、その人だけに与えられる大切な賜物を誰にでも与えてくださっています。それらは、その人固有のものであり、かけがえのないものです。しかし私たちは、この「神様からのプレゼント」に気づいていないことが多いです。それは、ひとりひとりに応じて備えられた大切な賜物です。例えば、「笑顔が良い・歌やダンスが上手・話をするのが上手・話を聞くのが上手・面白い冗談を言える・大きい声が出る・優しくて、誰かのために一緒に泣くことが出来る・・・」などが挙げられるでしょう。これらはほんの一部の例であり、数限りなく存在するものです。それらは、その人の特長であるとともに、他にはない素晴らしい能力です。それらを他のものと比較する必要はありません。それらの賜物は、与えられた人全てが幸せになるために用いるべきものです。さらに、自分のことだけで無く、他者のためになることや、神様の栄光のために用いることができるのはとても素晴らしいことです。つまり、神様から与えられた価値の高いものを、与えられた人自身がどのように使い、どのように世の中のために貢献できるかが問われているのです。

 石田先生は、最後にこのように語りました。「神様は、世の中の全てをご存じです。当然、私たち人間の弱さもお見通しです。そのため、聖書には、神様が私たち人間を呼び出して、時々確認する場面が記されています。私たちは、そうした神様からの問いかけに対して、現在の自分自身を包み隠さず、正直にさらけ出せば良いのです。私たち一人ひとりは、神様から愛された存在です。私たちは、神様から大切な【タラントン、才能・能力】を託されています。いずれはこれらをお返しするときが来ます。その時には『お預かりしたものを大切にして、有効に活用しました』と言ってお返ししたいものです。」

 「タラントン」のたとえは、キリスト教主義学校ではよく語られる内容であり、聖書のお話しのなかでも有名な箇所です。しかし、抽象的で分かりにくいところでもあります。本日のお話を聞いて、なるほどと思い、スッキリと胸のつかえが取れたような気がしました。石田先生、本日はありがとうございました。