7月2日(火)「チャペル・アワー」

投稿日:2024.07.04  チャペル・アワー

聖書の箇所:「新約聖書、マタイによる福音書5章7節~9節」  奨励:「心の清い人」

 

 本日のチャペルアワーの奨励は、本学コミュニティ子ども学科教授の成田小百合先生でした。成田先生は、今までの人生を通した体験から、ご自身のことを語ってくださいました。

 成田先生はお父様が大きな企業の研究室にお勤めしていたことから、愛知県、神奈川県、九州、などへの転勤があり、小学校時代には何度も転校を経験したそうです。転校生は、新しい学校では奇異の目で見られます。中でも大変だったのは子ども同士の会話です。言葉の違いや発音、イントネーションの微妙な違いは、からかいの対象となりやすく、学校ではどんどん無口になって行ったのです。そして、しゃべらないという事で、ご自身の不安や不満も貯め込みがちになり、悩みの多い少女時代だったそうです。しかしその事は、当時から成田先生の思索深さを養っていたのでしょう。

 学校では友達同士のトラブルがあれば、「ごめんなさい」と謝るようにと誰もが習い、こんなことは低学年の生徒でも知っています。しかし国際政治の世界では、そんなことは通用しません。テレビのニュースなどで平和な様子が映し出されていても、その裏で戦争は続いています。大人の世界には、本音と建て前があるのだということを頭では理解できても、どうしても納得は出来ません。今思えば、正義感の強い子どもで、さまざまな事情で折り合いをつけようとする大人の事情に対して、どうしても許せない思いがあったのです。ある意味、正直な気持ちを持ち続けていたために、思春期などはあちこち壁にぶつかり、非常に辛いものだったそうです。成田先生は、以下のように語りました。

 『・・私の思春期は、どちらの方向にいくかもわからず川の流れに翻弄されるボートに乗っているような危うさがありました。この危うさの中にあっても、唯一身を助けるオール、どんなに弱い力でも行きたいと思う方向に漕ぎ出す力を出せるオールを私は持っていました。それは、言葉のオールです。幼い頃、母から事あるごとに言われた【神は愛である】という言葉のオールです。時には、その言葉が見えなくなり遠ざかることもありました。しかし、心に思うと、【神は愛である】のオールは蘇り、私を勇気づけ支えてくれました。進学した大学では、価値観を共有出来る友人を得て学びに結びつき、現在にいたります。今日の聖書箇所に「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。」というところがあります。世の中には辛いことや悲しいことが多く、悩みの多い日々が続きます。しかし、そんな時こそ神様の存在を身近に感じることが出来るのだと思います。皆さんも、学生時代に、自分で信じることが出来て、ご自身の支えとなってくれるようなものに出会えることを祈っています。』

 成田先生が、いつでも誰にでも優しく、丁寧に接することのできる秘密を知った思いがします。先生は「臨床心理士・公認心理師」という面からも、一人ひとりの学生に寄りそってくださるのですね。本日はどうもありがとうございました。