4月23日(火)「English Chapel」

投稿日:2024.04.24  チャペル・アワー

4月23日(火)「English Chapel」を行いました。  

聖書の箇所は「New Testament, The Gospel According to Matthew 25:35-36&40 新約聖書、マタイによる福音書7章7~8節」

本学の「チャペルアワー」では、春学期・秋学期にそれぞれ1回ずつ「English Chapel」を行います。奨励はもちろん進行も全て英語でなされ、賛美歌も英語で歌います。今回は、本学のリチャード・マハー准教授による奨励で、「The Search for Meaning, (意味の探求)」と題されたものでした。

最近のニュースなどで「現代は便利で過ごしやすく良い時代になった」という話しをしばしば耳にします。では、本当に「すべての人にとって良い時代になったのでしょうか?」今回は、このことについて少し考えてみたいと思います。今、イスラエルのガザ地区では100万人以上のパレスチナ人が十分な食料を得られず飢えに苦しんでいます。ウクライナでは30%以上の人々が故郷を追われたと言われています。日本も同様で、能登半島ではお正月の大地震により多くの人々が家を失いました。こうした人々の生活を見ると、はたして現代は本当に『良い時代だ』と言えるでしょうか。新島学園は群馬県でキリスト教教育を推進するために設立された学校です。今回はキリスト教の観点から、こうした状況を考えてみましょう。

宗教とは大変興味深いものだと思います。と同時に、宗教とはとても人間らしい概念だと考えられます。というのは、我々が人間である以上、誰もが生きることに何らかの意味を求めているからです。オーストリアの精神科医でホロコーストの生存者であるヴィクトール・フランクルは、『人が生きる意味を求めることは、人が生きることにとって最も重要な原動力である』と考えました。つまり、生きる意味を追求しつづける事こそが、人間が生きることの本質なのです。私たち誰もが、『生きる意味って何だろう?』とか、『私はなぜここにいるのだろう?』のようなシンプルな疑問を持ったことがあるでしょう。宗教とはそうした問いに明確に答えてくれます。そして私たちが生きる上で実践すべき道徳的なルールをも示してくれるのです。そうです、『宗教』とは私たち人間が生きる時に指針となる概念であり、大変興味深いものなのです。

本日の「マタイによる福音書」の聖句は、キリスト教の大きな教えのひとつです。イエス・キリストは『互いに、特に助けを必要としている人々を思いやるように』と、私たちに語っています。私たちが、自分とは異なった環境にある人々や、今まさに困難な状況にある人々と接するときに、『自分自身や自分の家族、そして自分が大切に思っている存在を扱うように接しなさい』と教えているのです。イエス・キリストは私たちに『優しさ・気遣い・思いやり』をもって行動することを望んでいるのです。本日のこのメッセージは、言葉にしたり、考えたりするのは簡単ですが、実際に実践するのは大変難しいものです。しかし、新島学園短期大学で学ぶ皆さんは、この学び舎で生活する二年間で、キリスト教から多くを学び、少しでも実践できる人物と成長する事を願います。ガザ地区や、ウクライナ、能登の人々のように苦しみの中にある人たちの顔を見るときに、そこにいるのは私たち家族や自分自身、自分と親しい人たちなのです。あるいは、そこにはイエス様がいるのでは無いかと思いながら見てみましょう。そうすることで私たちは実感を持って接することができます。特に困難な状況にある人々に対して、優しさ、愛、敬意をもって行動することこそが重要です。そうしたことが、私たちが自分の人生とは何かと考える時に『人生を最も有意義なものにしている』事になるのではないでしょうか。自然災害や紛争被害の嘆きを通して、『隣人愛や、人は何のために生きるのか』という哲学的な内容を学ぶ良い機会になりました。