2025年1月7日(火)『学生チャペル』
投稿日:2025.01.17
今年度4回目の「学生チャペル」です。今回も、聖歌隊の皆さんとともに、司式、奏楽、奨励、祈祷などチャペルのほとんど全ての役割を学生代表が担当しました。
【 始まりと終わり 】 コミュニティ子ども学科2年 中島 菫
皆さんは、始まりと終わり、どちらを大切にしていますか?と言っても、入学と卒業、就職と退職、出会いと別れ、生と死、、、など様々な種類があると思います。ちなみに私は、好きな食べ物は最後に食べたい派なので、どちらかというと最後を大切にしている気がします。一般的には、始まりは明るく前向きなイメージで、終わりは悲しく、暗いイメージがあるように思います。そして私は、始まりは自分の意思で踏み出すもので、終わりは意図することのできないもの、抗うことのできない運命、というイメージを持っていました。
実は私は一度就職してからこの学校に入学したので、年齢的には皆さんよりも5.6歳上です。そのため学生生活を楽しむという考えは微塵もなく、資格を取って就職することだけを目的にしていました。そんな中、年齢の違う私を受け入れ、思いがけず仲良くしてくれる友人たちと出会いました。年齢的には若くても、私よりも精神的にずっと大人で、こちらが教えられることもたくさんありました。そんなみんなは、私の「この2年間は就職のことだけを考える」という固い考えを柔らかくしてくれたのです。そのおかげで、この学園では自分が思っていた以上の学びを得ることができました。就職しか見ていなかった私が、昼休みに友人たちと他愛もない話をしたり、授業の後で一緒にご飯を食べに行ったり、予定を立てて旅行に行ったりと、気づけば学生生活を楽しんでいます。早く卒業して働かなければいけないと視野が狭くなっていた入学時と違い、今は「まだ卒業したくないな」などと思ってしまう自分もいます。意図しない始まりがあって、思いがけず楽しい日々を過ごし、知らなかった自分の一面を知ることが出来たのだと思います。
私はちょうど1年前、祖父を亡くしました。数年前から体調を崩し、徐々に弱っていく祖父に私は向き合うことができませんでした。あの時電話に出ていたら、会いに行っていたら、、、と私の後悔や、行き場の無くなった祖父への思いは、ずっと私の心の中に残り続けています。あの時もし、別れという終わりに向き合うことができていたら、寂しさの中にも楽しかった思い出ばかりが浮かんで来たのではないかと考えています。私の人生を振り返ると、進学先として選んだ高校を、最初に肯定してくれたのも、県外の大学に進学するため、一人暮らしを始める不安な私を受け入れて、一番応援してくれたのも祖父でした。私の始まりに寄り添ってくれた祖父の温かいぬくもりを今も覚えています。これからも祖父の最期に寄り添えなかった後悔は消えないとは思いますが、節目のたびに思い出し、今も応援してくれていると信じて進み続けたいです。
このような経験から、意図しない始まりにも学びや喜びがあると気付くことができました。また、退職などの意思のある終わり、別れなどの終わりに向き合うことが、次の始まりに繋がっていくのではないかと感じました。そう考えると、始まりも、終わりも、どちらも明るいイメージを持つことができるのではないでしょうか。これから先、意図しない出会いや向き合うべき別れもあると思います。皆さんの背中を押すような、明るい始まりと終わりに出会えるよう祈っています。
ご清聴ありがとうございました。
【 物事だいたいなんとかなる 】 キャリアデザイン学科1年 堀江 泰成
今回私は、皆さんに少しでも興味を持っていただけるようにと考えたものです。そのため、いわゆる「いい話」だとか、「ためになる話し」ではないことをご承知ください。いろいろなことに挑戦すると楽しさはもちろん、残念なことも起こります。しかし、私は「たとえ嫌なことでも、やってみれば「だいたいなんとかなる」というように感じています。私がこのようなことを考えるきっかけになった出来事は、高校二年生の時に、友人が自ら命を絶とうとした事です。若干話題がずれて、嫌な話になるかもしれません。
実はその友人はちょっと面白く、ユニークな人で、どのように命を絶とうとしたかというと、睡眠薬を飲んでオーバードーズを起こそうとしたのです。ですが失敗をしました。後から聞いた話ですが、用法をしっかり守って服用したのだそうです。そうしたら、すごくよく眠ることが出来て、翌朝は何もかも忘れるくらいスッキリ目が覚めたのだそうです。いつも通りに学校に来て、そのことを話してくれました。私は、愛すべき人というのはこういう人のことを言うのだと思いました。彼とは今でもとても仲の良い友人です。先日その友人から「公務員採用試験に受かった」という連絡が来ました。その友人は、あんなことを計画するほどの心境だったのに、今では元気で、とても楽しく生活しているのがわかります。私は、あの時の計画が失敗して、本当に良かったと感じています。
私は、そうしたことを経験して、ありきたりではありますが、「日々当たり前だと思っている日常も、何が起こるか分からない」と考えるようになりました。そのため、「全力で生きよう、さまざまなことに挑戦して、今を精一杯楽しもう」という思いに至ったのです。私は、高校生の時には地域の男声合唱団に入っていました。結構いいところまで行きまして、関東大会で賞をいただくほど頑張りました。他には、私が通ってた高校で新しい部活動を作る計画を出したりなど、様々なことに取り組んできました。新短でも、聖歌隊をはじめ、ボランティア部やバトミントンサークル、バスケットボールサークルなど、まあさまざまなことに挑戦しています。学校外での活動も、地域の自治体のボランティアや、市の役員さんで構成される委員会に参加したりしています。そして今回、チャペルで奨励する機会を得たのです。入学当初の目的でもあった「今を楽しむ」ということは、かなり達成できていると感じています。
しかし、今述べた活動も、はじめからやる気があって始めたものではありませんでした。聖歌隊も初めから入るつもりはありませんでした。4月か5月の事だったと思います、チャペル後に20分くらいの説明会があるというので行ってみました。説明を聞くだけのつもりが、先輩の皆さんからガウンのサイズを聞かれて、まずはガウンを着てみようという話になりました。なんだか話が勝手にトントンと進み、その翌週のチャペルには、ステージの上で歌っていたのです。最初はちょっと困惑しましたが、今では楽しくやっています。来年度は、僕もこの手を使ってみようかなと考えています。
本当のことを言えば、聖歌隊も地域の自治体のボランティアも、初めから進んで始めたものではありませんでした。聖歌隊も、とりあえず説明だけ聞いて考えようと思っていたのですが、説明会に行って、話を聞いてみたらやりたくなりました。もともと歌うのは好きだったから、みんなで歌うのは楽しかったです。他の活動自体もとても楽しいし、先輩たちもとても個性的で面白い方たちばかりで、とても充実した時間が過ごせています。夏休みには合宿もあり、クリスマスには高齢者の施設に慰問に行きました。そうした経験はもちろん、ほかにも多くの学びの機会を与えてもらっています。
キリスト教主義の新島学園短期大学に入学し、聖歌隊に入っていなかったら、こうした経験は得られるものではなかったと、本当に貴重な経験ができたと、今ではとても満足しています。こんな私でしたが、来年度、聖歌隊隊長を務めさせていただくことになりました。当初はあまりやる気があったわけではなかった私のような者でも、タイトル通りで「物事だいたい何とかなる」ものでした。楽しんで活動の出来る間口の広い聖歌隊です。楽しく歌えて、貴重な体験ができることは、私が証人です。現在の一年生隊員は、私ともう一人で、二人だけです。三月の卒業式、来年度四月の入学式で、一緒に歌ってみませんか。ご清聴ありがとうございました。