12月12日(火)「アドベント・チャペルⅢ」

投稿日:2023.12.18  チャペル・アワー

聖書箇所:『新約聖書』、マルコによる福音書3章28~29節

本日は、第三週のアドベント・チャペルです。今回は共愛学園前橋国際大学の宗教主任である古澤健太郎先生をお招きしました。奨励は「現代社会と聖書」と題されたものでした。古澤先生は、随所にスライドを活用して、宗教は社会の中で実践的に働く存在であるということを具体的な実例をもとに語ってくださいました。

国際比較調査グループISSP(International Social Survey Programme, https://issp.org/)での「宗教の役割は何か」というアンケートにおける、日本のデーターは独特な結果を示しています。「道徳意識を高める存在」や「困難や悲しみを癒す存在」のような選択肢と比較して、「貧しい人たちを救う存在」のような選択肢の回答が低く現れています。このことは、宗教はお祈りをする、願い事をするなどイメージ的・抽象的なことをする存在で、何かに対して具体的・実践的なことをする存在であるというイメージが薄いことが原因だと考えられます。しかし宗教は本来、社会と密接にかかわる実践的な存在なのだと考えられます。

オーストリア出身のイギリスの哲学者カール・ライムンド・ポパーは、その理論の中で「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならないのか」と問題を提議し、一見すると矛盾した意見(パラドックス)を語っています。本日の聖書個所は「はっきり言っておく。人の子らが犯すどんな罪や冒涜の言葉も、すべて許される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に許されず、永遠に罪の責めを負う」と教えています。これは、「人にはすべての自由が許されている、しかし他者の自由を侵すことだけは許されない」と読むことができるでしょう。ポパーはユダヤ系の両親のもとに生まれ、ルター派の教育を受けています、この理論も聖書の言葉に強く影響されていたことがうかがえます。このように、キリスト教は社会哲学のベースになっていることは間違いありません。

共愛学園は、1888年の開学のキリスト教主義学校で、群馬県初の女子高等教育の学校です。男子に比べて低かった女子教育に目を向け、その地位向上に大いに貢献しました。そのほかにも群馬県内では、孤児院の「社会福祉法人上毛愛隣社」やハンセン病の施設を支える草津の「バルナバミッション」、アジアからの難民の支援を続けているカトリック教会の施設である「社会福祉法人 フランシスコの町 あかつきの村」など各所で多くの施設が、社会における弱者の支えとなる大切な活動を続けています。全国的な企業としては「ヤマザキパン」や「ライオン歯磨き」、クリーニングの「白洋舎」など、多くの奉仕活動が広く知られています。これらの企業はその起業者がクリスチャンで、そのキリスト者的信条としての活動であることは、あまり知られていません。

世の中の出来事すべてを解明し尽くすことはできませんし、世の中に多くの矛盾が存在することも事実です。世の中には不確定なものが多く存在します。しかし、このような不確実な世の中だからこそ、聖書を学ぶキリスト教主義の学校での学びこそ、身につけておかなければならない重要なものだと思います。そしてその本質は、決して抽象的なものではなく、極めて実践的で的確な学びの一つであると考えられます。

古澤先生、アドベントのこの時季に、キリスト教主義学校に関わる私たちへの励ましとなる貴重なお話しをありがとうございました。