12月5日(火)「アドベント・チャペルⅡ」

投稿日:2023.12.08  チャペル・アワー

聖書箇所:『新約聖書、マタイによる福音書25章31~46節』

 

 本日のアドベント・チャペルⅡには、新島学園中学校・高等学校校長の小栗仁志先生をお招きしました。

 アドベントの語源は、ラテン語のアドベントゥス(Adventus)で、“到来や復活”の意味があります。キリスト教の世界において「アドベント」とは【「キリストの再臨」と「クリスマス」という2つの出来事を心を込めて待ち望む】、という特別な意味があります。イエスは十字架上の死のあと3日目に復活し、その後40日間宣教活動をしたことが伝えられています。その後に天に昇りこの世から一旦姿を消されましたが、世界の終わりの日に再び現れて、最後の審判を行い、この世を裁くと聖書には記されています。「キリストの再臨」の出来事です。本日の聖書箇所は、この世の終わりの時に、イエスがこの世に再臨し人々に裁きを下す場面で、まさにこの最後の審判について語っているところです。羊飼いが山羊と羊を、左右に選り分ける行為に例えて語っています。従順な羊は、この世で良い行いをした人々のことで、神の国に入ることが出来るのです。羊に較べ飼育しにくいと言われる山羊は、この世で悪い行いをした人々のことで、永遠の炎で焼かれてしまうことになります。こう聞くと「最後の審判」とは、おそろしい罰を受ける日のように思われます。しかし、それだけではなく「神の正義が完成する救いの日」でもあるのです。この世には、思うようにならないものがたくさんあります、生きることは楽な事ばかりではなく、辛いことも多くあります。現在でも、世界では様々な辛い出来事が起こっています。ウクライナやパレスチナでは紛争が続き、多くの被害が出ています。こうした話しを耳にするにつけ、世の中には多くのゆがみがあり、辛いことばかりが多くあると感じます。終わりが感じられず、物事が永遠に続くというのは辛いものです。

 私たちが生きていると楽しいこともありますが、必ず苦しいこと、悲しいこと、辛いことがついて回ります。しかし、その苦しみも必ず終わりが到来します。聖書には、世の始まりと世の終わりのことが書かれていて、どんなことにも必ず終わりがあると語っています。「最後の審判」とは人を救う恵みの日でもあるのです。どんな人でも皆全ての人は、神様に愛される存在です。イエスの誕生をあらわすクリスマスと、その準備をするアドベントのこの時季に、神様の愛を信じて待ち望む時としましょう。

 ご自身が現在でも取り組んでおられる剣道での体験や、西洋絵画や外国映画に示される天使と悪魔のイメージを織り交ぜて語るなど、非常に興味深くお話を聞くことが出来ました。本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございました。写真はチャペル後に、李先生と新島学園高校の卒業生(剣道部OB)と一緒に撮したものです。