10/3(火) 『チャペル・アワー』

投稿日:2023.10.05  チャペル・アワー

聖書箇所:『旧約聖書、申命記5章17節』

宗教主任の李元重准教授による奨励は『殺す勿れ』と題されたものでした。このフレーズは、今回の聖書箇所を文語体で書いたものです。1897年から1935年まで安中教会の牧師をつとめた柏木義円は、日本が軍国主義に走る時代に、一貫して「非戦論」を唱えました。群馬県には新島襄から始まるキリスト教の伝統が生きていて、この柏木の「非戦論」は、今でも多くの人から評価をされています。柏木が発行した『上毛教界月報』には、この「殺す勿れ」と題された論説があります。この論説の背景には、1923年に起こった関東大震災があります。

今年は関東大震災から100年で、多くのところで追悼の会が持たれました。関東大震災は、死者行方不明者が10万人を越え、その規模や災害の大きさから日本の震災被害で最大と言われています。大きな災害の時には、様々なデマや流言が流れます。この時には、「朝鮮人が井戸に毒を入れた、放火をした」などのデマが流れ、軍や警察、自警団までが出され、朝鮮人を虐殺する事件が起こりました。群馬においても、朝鮮半島出身者が殺された事件が起こっています。こうした、関東大震災後のデマによる朝鮮人や中国人、日本人の社会主義者の殺害は6000人以上にのぼると言われています。柏木義円は、こうした情報を集めて、「国のためであれ、何のためであれ、人が人を殺して良いはずがない、今の日本の軍国主義教育こそが間違っているのだ、正しい戦争などは存在しない、条件は必要無く 殺す勿れ なのだ」と力強く論じています。柏木にとって戦争は、国家による計画的な殺人罪であり、それは、外交で問題を解決できない無能を表すようなものでした。

柏木義円は非戦論だけでなく、死刑廃止論も唱えています。人間の生命は、自然や事故以外に、意図的に奪ってはいけないし、それには国家の法律も例外ではありません。義円の主張の根本には、キリスト教の隣人愛があります。キリスト教では、自分のことよりも先に、相手の立場に立って考える事を教えています。イエスキリストは、自分の命を捧げることにより、人の罪を贖いました。そうしたことから考えると、例え正当防衛であったとしても、相手の命を奪うことは正しいことではないのです。まさに条件無しに「殺す勿れ」なのです。そして、そうした考えは、広く万人に向けたものでなければならないのです。

今年は、関東大震災から100年であるとともに、新島学園短期大学の開学40周年の記念の年でもあります。今の日本は、ある意味で平和なのかも知れません。しかし、本来の平和は、そう簡単に手に入れられるものではありません。各人が自覚を持ち、自ら平和と人の命、特に弱くて小さい人の命を守ろうとしなければ失われてしまうものであることを考えておくべきです。今回は、厳しい現実の中でも自らを見失うこと無く、正しい行いをすべきだという示唆に富んだメッセージでした。