10月22日(火)『チャペル・アワー』

投稿日:2024.10.24  チャペル・アワー

聖書箇所:『新約聖書、コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9~10節』   奨励題:「喜びのおとずれ」

 本日のチャペルは、群馬社会福祉専門学校で専任教員をされている鵜﨑明日香先生をお招きしました。鵜﨑先生は、ご自身のこれまでの体験を、英国のファンタジー小説「ナルニア国物語」と重なることが多いと語りました。実は、今回の奨励題の「喜びのおとずれ」とは、小説の作者であるC.S.ルイスの自伝小説の題「喜びのおとずれ」を、あえてそのまま使ったのだそうです。C.S.ルイスはキリスト教の熱心な信者であり研究者でした。代表的作品である「ナルニア国物語」は、子どもが聖書やキリスト教に親しめるようにと、難しい専門用語を使わずに書かれています。その内容は、作品の主役として登場するライオンのアスランは、ナルニア国の創造主であり、一度死んでも復活するなど、聖書の話しをモチーフにしていることが良く分かります。

 鵜﨑先生は中学2年生の時に、ご家族から夏休みにボランティア体験に行くことを薦められて、ある知的障害者施設に行くことになりました。そこは、お昼休みなどに賛美歌を歌ったり、食事の前にはお祈りをする、キリスト教関係者の多い施設でした。はじめは、利用者の方々とどう接して良いのかも分かりません。気まずく感じながらも、利用者の方々がこなしているのと同じ軽作業に、一緒に取り組みました。その時は、ただ自分の与えられた業務を黙々とこなすような日々でした。しかもその頃は、健常者である自分が、障害者を助けるために来ているという考えで、言うなれば上からの目線で利用者の皆さんを見ていました。 

 そんなある日のこと、テレビで大規模な台風被害が報じられました。自分より5歳ほど年上のHさんという利用者が、その被害者の方々のために必死にお祈りをする姿を目にして、とても驚いたのです。鵜﨑先生は新島学園高校の出身ですが、教会生活をしていたわけではありません。むしろその頃は、「気持ちの弱い人が宗教に頼るのだ、私には無関係だ」と宗教に対して偏見を持っていたのです。それどころか、災害は遠い場所での出来事で自分には関係がない、そもそもお祈りで何かが解決されるのか、のような感情さえ持っていたのでした。しかし、一心に祈るHさんの姿と自分の姿を比較して、「自分はなんと冷たい人間なのだろう」と感じたのです。そして、「こうして祈る人たちは、何を信じ何に対して祈っているのだろうか」という、強い興味がわいてきたのです。ボランティアを終えた頃、お母様にそうした体験や疑問を話しました。すると、知り合いに紹介された教会に行ってみることを提案してくださいました。それから教会に通うようになり、紆余曲折を経ながらも数年後、高校1年生の時に洗礼を受けクリスチャンになったのです。

 鵜﨑先生は次のように語りました。『Hさんは、私が進学や就職で群馬を離れていたときに天に召されました。いつか天の国で、彼女と再会をしたいと感じています。神さまは、Hさんのそのままの生活や信仰、そこに向かう姿を私に見せてくれました。私も、自分の弱さや出来ないことを、受け入れて生きて行きたい。私は現在、福祉を仕事として生きています。私にとって福祉とは、誰かを助けたい、救ってやりたいというものではありません。自分自身にも悩みや、心の揺らぎがあります、そうした自分ではどうにもならないことがあり、神さまの助けの中で生きていることを心に秘め、共に歩んでゆくものだと思っています。』

 鵜﨑先生は、話し始める前に、「私はこの話をするときっと途中で泣きだしてしまいます、それは決して悲しかったり寂しかったりして泣くのではありません」、と語ったことが印象的でした。そう、本日の題「喜びのおとずれ」の、英語の原題は「SURPRISED BY JOY」です、直訳すれば「喜びでビックリすること」です。神さまの愛に守られ、さまざまな出会いがあり、現在に至った人生の喜びが、思わずあふれ出てしまうのでしょう。

 福祉の専門家らしく、聴く人すべての心にそっと寄り添い、共に歩んでくださるようで、とても優しく暖かな気持ちに包まれました。鵜﨑先生本日はありがとうございました。