3月13日(水)『 卒業チャペル 』

投稿日:2024.03.18  チャペル・アワー

 今年度の卒業チャペルが行われました。李元重宗教主任の奨励は、「自分の物語を作る」と題されたものでした。最近たまに、「歌が上手だ」とか「声が良い」とか声をかけられることがあります。こうしたお褒めをいただくことは嬉しいことではあるのですが、自分自身は少し距離感があります。というのは、小学校・中学校・高校時代を通して、音楽は得意科目ではなかったのです。もしも、今の自分がタイムスリップをして少年時代の自分の前に現れたとします。「君は将来、歌が上手だね、と褒められるよ」と言っても、その時の自分は絶対に信じないでしょう。人生とは、「自分の物語を書き連ねた作品」のようなものだと思います。その物語の主人公は俳優などではなくて自分自身です。その物語は1日も休むことを許されず、誰か別の人に書いてもらうことも出来ません。内容は良いことばかりではなく、むしろ嫌なことの方が多いでしょう。しかし、数年後にこの物語。つまり「自分の来し方」を見返してみると、前述の内容のように想像以上の物語になっていることに驚くでしょう。
 物語には様々な種類がありますが、面白い物語、意味のある物語、感動的な物語には共通点があります。そこは、その物語の主人公、人物が必ず危機、試練、苦難を経験するということです。実は、聖書も物語として見ることができます。しかもそれは神様の物語です。その中にも「苦難」はあります。むしろ「苦難だらけ」と言っても良いほどです。イエス・キリストは人の罪を負って十字架にかけられて死にました。「死」は人にとって最大の「苦難」です、神の物語とは「死からの復活」を成し遂げるもので、「死に打ち勝つ」ことで、「世に光を灯す」物語であり、絶望を希望に入れ替える物語でもあります。 新島短大で学んだこの2年間に、皆さんはそれぞれ自分自身の物語を書いてきたのだと思います。では、その物語の内容はどのようなものだったでしょうか。これから皆さんは、めいめいが各自の世界に向けて出て行くことになります。行き先は皆さん別々ですが、皆さんが不安を持っていることは同じだと思います。しかし、心配はいりません。どんな進路に進んでも必ず「苦難」は訪れます。「苦難」は自分の人生をいろどるものであり、「苦難」を乗り越えることに価値があります。そして、それを乗り越えた先には「希望」があるのです。是非、ひるまずに「苦難」に立ち向かって行ってください。
 新島短大を卒業する皆さんには、「良い物語」を作ってもらいたいと考えています。そのためには、皆さんの物語を「愛の物語」として作っていくことに心がけてください。聖書に記された「愛」とは、自分を嫌ったり憎んだりする人に対してさえも向けられるものです。あらゆる人を愛するとは極めて厳しいことで、まさに「苦難」の連続になるでしょう。そうなることこそが、イエス・キリストの人生に近づくことになるのだと思います。
最後に、新島襄が1879年の同志社英学校の第1回の卒業式で卒業生に贈ったという、言葉で締めくくられました。

  『Go, go, go in peace. Be strong! Mysterious Hand guide you!』
  『行け、行け、安心して進め。心を強く持て。神の見えざる手が君たちを導いてくださる!』
 新島学園短期大学を巣立ち、新たな生活を迎えようとしている卒業生に対して、キリスト教主義学校の宗教主任として贈る、何よりのお祝い、そして励ましの言葉となったことでしょう。卒業生の皆さん、悲しかったり辛くなったりしたときには新島短大のチャペルの時間を思い出してください。ご卒業おめでとうございます。