【実施報告】1/6(火)「学生チャペル」
報告者:キャリアデザイン学科 1年 藤井 大輔
コミュニティ子ども学科1年 本田聖歌
聖書箇所:『新約聖書、ルカよる福音書2章15節』
学生チャペルは、聖歌隊の皆さんはもちろん、司式、奏楽、奨励、祈祷など、チャペルのほとんどの役割を学生代表が担当して実施されています。今回の奨励者は、キャリアデザイン学科1年の藤井大輔さんと、コミュニティ子ども学科1年の本田聖歌さんでした。藤井さんは学生時代にこそ可能なひとり旅のエピソードをご自身で撮影したたくさんのスライドを利用してお話しくださいました。本田さんは現在、大好きなご家族と離れて一人暮らしをされています。本田家はクリスチャンホームです。小さな時から神様を身近に感じながら育った様子を赤裸々に語ってくださいました。学生チャペルは、等身大の大学生の本音が垣間見えるので、毎回楽しみです。友達の話を聞けるとあって、学生チャペルの時には参加者が多い傾向があります。自らの夢を実現させようと家族と離れて一人暮らしをしたり、長期の休みに趣味を生かした人生経験を積む活動に没頭したり。まさに『青春まっただ中』を感じさせるスピーチになりました。この年末年始、大きな寒気がやって来ました。上州、群馬県らしい乾いた寒風の吹く冬の候、ここ新木造校舎二階『新島の森』は、大学1年生の素直で新鮮なお話に、おもわず会衆の笑顔があふれました。聞く人すべてが思わずうなずいてしまうような心に残るチャペルになりました。
◆『ひとり旅の楽しさと苦労』 キャリアデザイン学科 1年 藤井大輔
「なぜ旅行に行くのか?」と問われたら、私は「シンプルに旅が好きだから」とか。「観光や、地域政策に興味があって、たくさんの土地を見てみたいから」と答えます。昨年の9月に、アルバイトの休みが重なり3連休となることが分かりました。この時間を利用しようと「スカイメイト」と「青春18きっぷ」を利用してどこかに旅に出ようと考えました。最初に思いついたのは、小学校2年の時に家族旅行で行った北海道でした。
スカイメイトは25歳までならだれでも利用できるお得な航空運賃のシステムです。午前0時からネット予約ができるので見てみたところ、札幌新千歳空港行きの便は全てが満席。JALのエアバスA350の飛行機に乗ってみたいと考えていたので、就航している路線を探したら福岡行きの便に空きがありました。福岡空港は立地が良く、博多駅までは5分と便利なのです。それならばと九州行きの旅行にシフトチェインジしました。しかし、北海道への旅に未練がありました。福岡に行く飛行機の中で調べてみると、なんと福岡から札幌新千歳行きの便に空きがあることを知りました。実はこのとき、長崎のホテルを予約していました。しかしキャンセル料は無料だったのですぐにキャンセルして、逆に札幌のカプセルホテルを予約しました。福岡、新千歳便の機体はBoeing737でした、この機体に乗るのも初めてでした。当日の私の移動は羽田→福岡→千歳、かなりの移動距離でしたが無事に北海道に着いて宿泊することとなりました。
2日目です。札幌駅を6時に出る旭川行きの普通列車で函館本線を北上。深川駅に着いたところで、上り線の深川と妹背牛の間で踏切を渡っていたトラックが架線を破断して運転見合わせになっていました。運よく待ち合わせていた特急ライラックに振替乗車、1時間40分遅れで深川を出発しました。遅くなったため、札幌方面へ帰る便はなくなってしまいました。そのため富良野線と根室本線でなるべく札幌に近いところまで行こうと滝川に向かうこととしました。運転再開見込みはいまだ立っていませんでした、このまま旭川周辺にいるのはひとり旅としては心細く感じていました。滝川に着いた後も鉄道の運転再開は見込めませんでした。そのため根室本線を一駅戻って、高速バスで札幌まで戻ることとしました。昨日も今日もまさに珍道中でした。
一人で旅行をすることは気ままに行動ができるというメリットがあります。しかし、今回のように不測の事態が起きた時には、自分一人で考え、決断し、行動しなければなりません。今回の旅は、本当にそうした「行動力」と「判断力」が身についた経験となりました。札幌でもう一泊して帰る事を決めました。
翌日の最終日、始発の時間から行動を開始し、函館本線の札幌から江別の間では「撮り鉄」の行動です、列車の写真をたくさん撮りました。そして最後は札幌新千歳空港から東京羽田空港行きの飛行機に乗って帰るのです。ちなみに当日はちょうど本州に台風が直撃した日でした。しかし、運が良かったのか飛行中はあまり揺れませんでした。なんなら離陸した時の方が大きく揺れていたほどでした。
今回のひとり旅は楽しかったのですが苦労も味わいました。そしてこの旅を通していろいろなことを学びました。今までは全て親にお金を出してもらっていました、当然親のありがたみを感じました。今回の飛行機と鉄道を使った旅は、自分の小遣いをやりくりしての旅でした。お金のありがたみはもちろん、何よりも労働の大変さを痛感しました。そして一番感じたことは、自分自身が色々なことに感謝をすることができるようになったことです。この話の題名の通り、ひとり旅は楽しさも大きいけれど苦労も大きいです、でもきっと得るものも大きいと思います。みなさんもひとり旅に出てみませんか。
ご清聴ありがとうございました。
◆『「大好き」の力』 コミュニティ子ども学科 1年 本田聖歌
まずは、私がどのような人物なのかを少し紹介したいと思います。私の名前は、本田聖歌です。長野県出身で、現在は一人暮らしをしています。所属しているサークルは、聖歌隊、吹奏楽部、ゴスペルです。サークル活動の他に、学生広報スタッフもさせていただいております。ここまで聞くと、「え、そんなに?!」、と驚かれる方がいるかもしれません。自分で「いいなぁ、やってみたいなぁ。」と感じたことに全て挑戦したら、こうなってしまったのです。忙しくはありますが、取り組んでいるのは私が好きな活動ばかりです。また、同学年の仲間や先輩、先生方、さらにオープンキャンパスでは未来の新短生まで沢山の方に出会うことができるのです。こんなわけで私は、毎日とても充実しています。
さて、ここからは、本日の奨励題である 「大好き」の力 について話したいと思います。私が少々忙しくても楽しく頑張れるのは、その原動力として 「大好き」の力 があるからだと感じています。この力は、活動に対する 「大好き」の力 だけではありません。家族の「大好き」の力、神様の「大好き」の力など、「大好き」の力には色々あるのです。これからそれを、1つずつお話ししたいと思います。
まずは、家族の「大好き」の力についてです。私の家族はとても仲が良いです。実家で暮らしていたときは、可能な限りみんなで揃って食事をしています。毎日たくさんお喋りをしてたくさん笑う、仲良し家族です。そして、そんな家族に育てられた私にとっては、「これ、おいしいね!好き!」「パパ大好き!」「ママ大好き!」「ねーなん大好き!」と気持ちを伝えるのは当たり前のことでした。実家を離れた今も、母とは毎日のようにLINEのやり取りをしていますし、ハートのスタンプを送り合うこともたくさんあります。大好きを伝えるたびに、私の心はほっこりとあたたかくなって力が湧いてくるのです。これが、家族への「大好き」の力です。
次は、神様の「大好き」の力についてです。これについては、「何だろう?」と不思議に思われた方もいると思います。神様の「大好き」の力についてご説明するために、まずは私にとっての「神様」の存在について少しお話しします。
先ほど話したように私の仲良し家族は、みなキリスト教の神様を信じているクリスチャンです。小さな頃の私にとっては、みんなが神様を信じるということは当たり前のことでした。しかし、私にとっての「神様」という存在は、成長するにつれて変化していきました。
初めは、私が幼稚園に通っていた頃のことです。私は、神様はお婆さんなのだと思っていました。理由は、私がいくつもの勘違いをしていたからです。当時私の姉は、羊飼いの描かれたマグカップを愛用していました。けれども私は、描かれているのは羊飼いではなくて神様なのだと思い込んでいました。さらに私は、羊飼いの白い被り物は長い白髪なのだと勘違いしていたのです。「神様はお婆さんなんだ!」という認識は、お祈りの「天の父なる神様…」の、「父」の意味を知った時、こっそり訂正されました。これは家族の誰も知らないエピソードかもしれません。この頃の私にとって神様とは、家族のみんなが大好きで、温かくて大きな存在という、ふんわりとしたものだったのだと思います。
次は、私が小学生の頃のことです。私はイエス様という存在を知り、何となく「いいな、あったかいな」と思うようになりました。この頃の私は、母に「聖書物語」や「母と子の聖書」などの神様についてのお話を読んでもらうことがとても好きでした。自分から母に「これを読んで!」と持っていったこともありました。それと同時に、他者との違いを気にするようにもなりました。身近な友達の中にクリスチャンは見当たりませんでした。神様が好きだということや神様を信じていることを口に出すのをとまどうようになりました。「神様を信じることは、当たり前ではないのかもしれない?」と、みんなとの違いに気づいたからです。私は絵本を書くことが好きだったのですが、神様のことを書いた絵本は、何となく気恥ずかしく感じて、他の人には見せずにそっとしまっておいたことを覚えています。自分がみんなと違うということへの気づきと、それによる心の変化がよく分かる思い出だと思います。
またある日、友達について出かけて行ったらそこは神社でした。そして参拝をすることになってしまった、という出来事もありました。私は友達に、「お菓子を貰いに行こうよ!」と誘われて、喜んでついて行きました。家が引っ越したばかりの頃だったので、友達に誘われたことがとても嬉しかったのです。しかし、到着してびっくり。案内された先は神社です、しかもお参りをしなければお菓子は貰えないのです。お参りを終えた友達はみんな私を待っています、「あー…、どうしよう。これは私が信じている神様じゃないんだよな…。それに、お参りの仕方なんて知らないよ…。」と、本当に困ったことを覚えています。結局は断ることもできず、友達を真似て大きな鈴を鳴らし、手を合わせ、「えーっと、神様たちが仲良くできますように…!」とお願いしたのでした。「私が大好きなのはキリスト教の神様だけれど、友達が大事にしている神様は違うんだな…。」と悩みに悩んで、友達の親戚にでも挨拶をするような感覚で手を合わせた記憶があります。
最後は中学生になってからのことです。「私はみんなとは違うかもしれないけれど、それでもやっぱり、神様のことが、あったかくて好きだな〜。」と思うようになりました。そして、神様は私の話に耳を傾け、見守っていてくださる存在になりました。「今日はこんなことがあって、とても嬉しかったんです。」と報告をしたり、入学試験や大会などの大きな行事前には、「神様、一緒にいてください。」とお祈りしたりしました。ちなみに私は、神様に結果をお祈りするよりも、「一緒にいてください」とお祈りする方が好きなのです。失敗したとしても神様のせいにはなりませんし、成功した時には、「神様に守られながら私自身が頑張った結果なのですよね?」と思えて、自分に自信がもてるからです。このように私は、神様にお祈りをするというか、お話をすることがよくあります。私のお祈りの仕方は 少々? かなり?特殊かもしれませんが、私にとってはこれが心地良く感じられるのです。
長くなりましたが、このように、生まれた時から神様の存在が当たり前だった私にとって、神様とはいつも見守っていてくださる方であり、私の「大好き」の一つです。「神様大好きです。今日も神様が一緒にいてくださるぞ!」と思うと、力が湧いてくるのです。私の様々な活動に対する「大好き」の力、家族の「大好き」の力、神様の「大好き」の力、今日は、私の力の源を3つだけお話ししました。このほかにも、友達、小さなこども、ぬいぐるみ、さぼてん、鬼滅の刃の胡蝶しのぶちゃん…、私の「大好き」の力 の源は、まだまだたくさんあります。直近には実習が迫っていますし、来年からは聖歌隊の隊長も勤めることになりました。私の毎日はさらに忙しくなりそうです。これからも 「大好き」の力 をもとにして、毎日の生活を楽しく頑張っていきたいと思います。最後までお聞きいただき、ありがとうございました。




