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2025年12月02日
チャペル

【実施報告】11/25(火)「学生チャペル」

報告者:キャリアデザイン学科2年 キャリアデザイン学科 佐藤陽菜多
    キャリアデザイン学科2年 コミュニティ子ども学科 深町実李
聖書箇所:『新約聖書、マタイによる福音書14章25-27節』

今回は「学生チャペル」です。学生チャペルは、聖歌隊の皆さんはもちろん、司式、奏楽、奨励、祈祷など、チャペルのほとんどの役割を学生代表が担当して実施されています。今回の奨励者は、キャリアデザイン学科2年の佐藤陽菜多さんと、コミュニティ子ども学科2年の深町実李さんでした。お二人は共に高校を卒業後、新島短大に入学する前のキャリアをお持ちです。その時の経験を経たからこそ、新たに新短での学びに導かれたのだと思います。世の中で今現在何が起こっているのかを若い感性でとらえ、さまざまな悩みや葛藤にあらがいました。多くの壁にぶつかりながら、様々な人たちとの出会いを通して自己を成長させて行きました。そして、自らの夢を信じ、そこに向かって努力を続けたプロセスを感じさせてくれるスピーチになりました。急に寒くなり、冬の到来を感じさせる11月の下旬でしたが、ここ新木造校舎二階『新島の森』は、自らの夢を実現させようとする熱い想いが満ちあふれるようでした。聞く人すべてが元気づけられるような、心に響くチャペルになりました。

◆『自分が変わったこと』 キャリアデザイン学科2年佐藤陽菜多
「学生チャペルの奨励をお願いしたい」と臂先生から連絡をいただきました。私が話せることなど何も無いので、本気で断ろうと考えていました。それでも、臂先生はさらに強く勧めてくださいました。そうこうしているうちに、「こんな機会は今後の人生で二度と無いだろう」と考え直し、引き受けさせていただくことにしました。しかし私の性格上ギリギリにならないと動き始めないので、チャペル当日の二日前から話しの内容を考え出すという計画性の無さを露呈しました。原稿を作りながら悩み、臂先生を恨みました。原稿は何もできでいないのに題名だけは先に決まっているという異例のスケジュールでした。人前で話すのも中学・高校時代の文化祭のスピーチ以来で緊張していますが、頑張って話をいたします。

 私は高崎に住んで今年で4年目になります、出身は新潟県です。医療系の大学進学に伴い高崎で一人暮らしを始めたのです。二年間はその医療系の大学に通っていたのですが、自分の中でいろいろと思うところがあり、中途退学を決めました。そして新島短大への再受験をしたのです。新短の存在は高崎に住み始めてから知りました。最初のイメージは「バイトに行く途中にある何をしているのかよく分からない学校」でした。四年前の高崎に来たばかりの私は、まさかこの学校に入学することになるなんて思ってもいませんでした。

 以前通っていた学校を中退することを決めた時には、その後の進路は決まっていませんでした。このあと何をすれば良いのか、自分は本当は何をしたいのかも分かっていませんでした。とりあえず自分がやりたいことを見つけようと、近燐の学校探しから始めました。そこで第一候補に挙がったのは新島短大でした。今住んでいる家から引っ越しすることなく通えるし、英検2級に合格していたので、入学時の支払いが減額されます。調べてみると、新短は私の希望に沿った進学先だったのです。そのため新短を受験することに決めたのです。

受験を決断したのはいいものの、受験日はこの決断をしてから2週間後に迫っていました。本屋さんへ行って短めの問題集を買い、猛勉強。さらに慌てて新短の国語と英語の過去問題を解いて受験に備えました。小学生のころから国語が大の苦手だった私は、国語の記述問題があることを知り、合格を絶望視していたのですが、なんとか無事に合格することができました。

 4月になり新短に入学しました。正直言うと、私はどこか劣等感を感じていました。「同い年の仲間と比べると、だいぶ遅れをとった」とか、「周囲の人たちに私はどう思われているのだろう」とかをどうしても考えてしまっていたのです。さらには、「このままで私の将来は大丈夫なのだろうか」などと、いろんなことを考えてしまっていました。今思えば自分は、他の人からどう見られているのだろうかというのを、すごく気にしていたのだと思います。そんな中ですごく印象に残っている出来事がありました。

入学したばかりの頃に、臂先生と話をする機会がありました。その時に自分が新短に来ることになった経緯を話しました。さらに前の大学では「何としても国家試験に受かれ」、「国家試験が受からなければただの人だ!」と良く言われていたことなどを笑いながら話したのです。すると、臂先生は真面目な顔をして「ただの人間でもいいじゃないですか!」と言ったのです。先生は普通の会話の流れでその言葉を言ったのだと思います。だからきっとその時のことは覚えていないと思いますが、私の中ではとても印象に残る出来事だったのです。その時なにかが腑に落ちたのを感じたのです。そして、自分は変にプライドを高くして生きていたのだということに気づかされたのでした。前の大学では、大抵の人は国家試験合格を目指して勉強をすることが普通でした。ほかの人が頑張って勉強しているのに、自分は途中で諦めたということに、勝手に劣等感を感じていたのだと思いました。その事に気づいてからは、周りの目を気にする必要はない、他者と比べる必要もない、自分が今できることを見つけてやっていけばいいのだ、と考えるようになりました。

 今振り返って思えば、大学中退も再受験も本当に無駄ではなかったと思えます。それどころか、むしろ遠回りをしたからこそ知れたこと、出会えた人、の存在に気づきました。最も大きなことは「自分の弱さ」に気づけたことです。この頃の私は、これからも自分らしさを忘れずに生きていきたいと考えています。

 新短生の生活も残りわずかとなりました。4月からは別のところに引っ越して新しい大学生活が始まります。ディズニーランドが今よりかなり遠くなるので、今のうちにディズニーランドに行きまくりたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

 

◆『これまでの経験から今私が思うこと』 コミュニティ子ども学科2年 深町実李 
本日は、私がこれまでの経験の中で感じてきたことをお話ししたいと思います。自分自身のことなのですが、最後まで聞いていただけたらありがたいです。そして、平和な日本に生きる私たちにとって、普段あまり意識することのない「安全」や「価値観」、そして「挑戦すること」の大切さについて、私自身の体験を通してお伝えできればと思います。

実は私は、この学校に入る前の3年間、高射操作員として航空自衛隊に勤務していました。配属先は千葉県の習志野にある部隊で、航空自衛隊の中でも「ペトリオットシステム」と呼ばれるミサイルシステムの運用を担当していました。高射操作員の任務は、日本に飛来するミサイルや敵航空機に対して、防衛の最前線で対処するというものです。ミサイルは、単純にボタンを押せば発射されるものではありません。発射機、レーダー装置、電源車など複数の車両を連動させ、射撃管制装置の中で電波や周波数を調整し、レーダーに映る航空機は敵なのか味方なのかとか、またどんな高度を飛んでいるのかを判断しながら迎撃します。私の業務は主に、発射機の展開訓練、戦闘シミュレーション、車両整備、体力訓練などでした。

 この仕事を通して私が得た最大の収穫は、多様な価値観に触れられたということです。自衛隊には、年齢や性別、立場も経験が全く異なる人たちが集まっています。その中で一緒に訓練を行い、同じ任務を遂行するために努力をするのです。そこでは、私がこれまで知ることのなかった世界や考え方に触れることができました。3年前にアメリカで実弾射撃訓練を行った際、元特殊作戦群の方と話す機会がありました。英語が苦手な私は翻訳機を使いながらコミュニケーションを取りましたが、その方は笑顔で、ご自身の胸に残る【銃創】を見せてくれました。そして、ある作戦で胸に被弾し、生死の境を2ヶ月間さまよったことや、任務の中で多くの仲間を亡くしたことなどを静かに語ってくれました。最後に彼は、「命があることは当たり前ではない。軍人でなくても、人が生きて何かをできる時間は意外と短いよ」と語りました。その言葉は、今でも私の心に深く残っています。

私たちの国には、米軍基地に関するさまざまな意見があります。しかしその一方で、私たちが見ることのできないところで命を張り、任務を遂行している人たちがいるという現実も確かに存在します。そのことを知る機会を得られたことは、私にとって本当に貴重な学びでした。また、訓練には、今現在も母国では戦争をしている国の軍人たちも視察に来ていました。彼らは、自国に戻れば明日にでも戦地へ向かうかもしれない人たちなのです。私は、同じ装備品を扱う彼らを目の前にしながら、「平和である」ということがいかに特別であるかを強く感じました。それと同時に、日本に生まれた私たちも、この現実を決して他人事にしてはいけないと考えるようになりました。

自衛隊での生活はたくさんの学びがありましたが、決して順風満帆ではありませんでした。着隊当初、「どうせ女は」とか「女のくせに」と言われることもありました。正直、悔しさや不安を感じる瞬間も何度もありました。それだからこそ、だったら努力で認められてやろうという思いが強くなり、訓練や日々の業務に必死で取り組みました。そして最終的には、性別や年齢の壁を越えた大切な仲間の一員になることができたように思っています。この経験は、私にとって大きな成長につながりました。私は、挑戦することはとても大切だと考えています。私は小さい頃から、「落ち着いている」とか「おとなしい」と言われることが多かったのですが、実は自分らしくない環境に身を置くときにこそ、一番ワクワクするのです。そして、つらいことや苦しいことが多いほど、後から振り返ると一生忘れられないような、貴重な経験になるのだと考えています。そのことを、自衛隊での3年間が教えてくれました。

 今、私は児童養護施設での最後の実習を終え、子ども園への就職が決まりました。施設では、大人や環境の都合で辛い思いをしてきた子、自分の気持ちに蓋をして我慢してきた子など、様々な背景を持つ子がいることを学びました。新短を卒業後、まずは一人前の保育士として、子どもたちと真剣に向き合うことが目標です。しかし、そこで終わりたいとは思っていません。私は日本だけでなく、他の国の子どもたちの現場も自分の目で見て学びたいと考えています。

 去年ベトナムに行き、今年はカンボジアに旅行で訪れました。その際に現地の子どもたちと触れ合う機会がありました。彼らの生活環境や教育の状況の一部を実際に見て、自分の力で何ができるのかを考えるようになりました。その経験から、私の次の目標は、海外協力隊「JICA」で発展途上国の幼児教育に携わることなのだと考えています。自衛隊で学んだ責任感や価値観の多様性、挑戦する気持ちを生かし、世界のどこかで誰かの力になれるような人間になりたいと考えています。 

最後までお聞きいただき、ありがとうございました。

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