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2025年11月05日
チャペル

【実施報告】11/4(火)「チャペル・アワー」

奨励者:臂 奈津恵 先生(新島学園短期大学 宗教主任)
奨励題:「おっさんも、泣く」
聖書箇所:『新約聖書、ルカによる福音書22章54-62節』

本学宗教主任の臂先生は、『イエスの十二弟子』と呼ばれる人たちの行動を例に、現代を生きる私たちの人生訓とでもいうべき生き方の心得を熱く語ってくださいました。奨励題の「おっさんも、泣く」については、確かに中年男性が声をあげて泣くことは、あまり見かけることのない行為です。これは、本日の聖書箇所のペトロの行動を表しているのだと思います。聖書には「ペトロ、イエスを知らないと言う」と副題がつけられています。

イエスの十二人の弟子には元来は漁師だった者が多く、ペトロも漁師でした。イエスとの出会いをきっかけに、今までの漁師としての生活を捨てイエスと行動を共にします。イエスに従って生きる生活を選んだのでした。それにもかかわらず自分たちの主人を見捨て、さらには逃げ出してしまったのはなぜでしょうか。

まず考えられるのは、イエスの仲間として捉えられることの恐怖が大きかったことでしょう。十二人の弟子たちは皆イエスを見捨て自分勝手に逃げてしまいます。十二弟子のリーダー格であったシモン・ペトロでさえ、「この人もイエスの仲間だ」という民衆の言葉に、「あんな人は知らない」とイエスの弟子であることを三度も否定してしまいます。群衆から敵視され、捕らえられてしまうかもしれない恐怖は確かに恐ろしいものです。

では「裏切り者のユダ」はどうだったでしょう。イスカリオテのユダは誰がイエスであるかを示すことを条件に祭司長や律法学者たちから銀貨三十枚をもらい受けました。その結果イエスは、民衆を扇動して人々を惑わしたとされる罪で捕らえられてしまいます。銀貨三十枚に目のくらんだユダは、次第に自らのしでかしたことの大きさにとまどい後悔します。そして祭司長や律法学者たちに銀貨を返そうとしますが、受け入れてもらえませんでした。自ら犯した罪の大きさに耐えられなくなった、ユダは銀貨を神殿に投げ入れ、首をくくり自殺をしてしまうのです。

ペトロはイエスから「今日、鶏が泣くまでに三度私を知らないというであろう」と言われたことを思い出しました。そしてその場を離れて外に出て激しく泣いたのでした。その激しく泣いた本当の理由は、何だったのでしょう。あれほどまでに熱心にイエスに従っていたのに、簡単に裏切る自分の惨めさ、小ささ、罪深さを知り泣いたのかもしれません。

ペトロもユダも、共にイエスの十二弟子でありながらイエスを裏切りました。この二人の違いはどこにあったのかが重要です。ユダは自らの過ちに気付き、感情的に死を選びましたが、ペトロは自らの過ちを知った後も、みじめな姿をさらしながらでも生きることを選んだのでした。そして、イエスの復活の後、聖霊降臨を受けてペトロは初代教会の中心となります。神さまは私たちが失敗を犯すことなど、ご存知なのです。しかしそんな小さな存在を愛し、許しながら活かして下さる、この恵に気付いたときに私たちは自分の弱さを知っても立ち上がっていく事ができるのです。

臂先生のお話は具体的で理解しやすく、チャペルに出席する学生・教職員皆さんへの思いやりが感じられます。最後に【長い人生において、失敗は避けられないこともある。しかし何度でもやり直せば良い。人生は自ら犯した罪を認め「悔い改める」ことが重要なのです。聖書はそうしたことを教えてくれます】と語りました。本日のチャペルでは、四つの福音書から同じ内容を記した多くの場面を引き合いに出し、その聖書箇所を開いて読みながら進めました。聖書を開くと、人生において助けになることが見つかりますよ!というメッセージだと感じました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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