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2025年10月22日
チャペル

【実施報告】10/21(火)「チャペル・アワー」

奨励者:日本基督教団 安中教会 牧師 朝日 研一朗 先生
奨励題:「死亡フラグが立ってます!」
聖書箇所:『新約聖書、マタイによる福音書16章21~28節』

本日は、日本キリスト教団安中教会牧師の朝日研一朗先生をお招きしました。奨励は「死亡フラグが立ってます!」と題されたものでした。
【近年「フラグが立つ」とか、「〇〇フラグ」という言葉が使われることがあります。特に各種のSNSで見かけることが多くあります。「フラグ」とは本来、英語の「Flag」つまり「旗」が語源です。しかし、ここで使われているものは、プログラミング用語からきています。プログラミングでは、何かの「条件をクリアしたか、していないか」を記録し、次の展開に進んでいきます。この「条件をクリアしたか、していないか」を表すのに「フラグ・旗」が使われています。つまり条件をクリアしていれば「フラグが立つ」ことになるのです。そのことから転じて、「フラグが立つ」とは伏線を張ることや何かの前触れを感じさせるなどの意味で使われるようになっていったのです。つまり奨励題の「死亡フラグが立ってます!」とは、『誰かの死が暗示されています』という意味なのだと考えられます。

朝日先生は、映画やアニメなど、とりわけ若者のサブカルチュア的な情報に敏感です。かつて、アニメのとあるシーンで息子さんが語った「死亡フラグが立った」という言葉が気になっていたのだそうです。その場の雰囲気から「いずれ死ぬことが暗示された」のような意味であろうと、うっすらと感じてはいました。そして数年後に、ある別のドラマのシーンを見ていて、はっきりと気づくことがあったのだそうです。その内容は、フラグが立つのはドラマのストーリー展開において、「生と死」や「恋愛の行く末」、「友情のしるし」、「勝敗の決まるもの」などのように、先々どうなるのかがはっきりとは明かされていないものに対して、ある種のヒントのように答えを連想させるものなのだと理解するに至ったのです。そして改めて考えてみると、聖書の中には「フラグが立っている」表現がとりわけ多いことに気がついたのです。

本日の聖書箇所は、イエスがご自身の死と復活を予告した部分で、この後に続く内容の悲劇性をイメージさせます。いうなればイエス自らが御自身の「死亡フラグ」を立てた場面です。しかし、その内容は「暗示」や「伏線」などで無く、確定したものとして明示しています。しかも同様に、死の先に必ず「復活」があることもはっきりと明言しているのです。通常の場合では自分の死を予測することは出来ませんし、自ら宣言するとはありません。ここは、その場にいた弟子たちに向けた、これから起こることの「フラグ」だったのです。さらには、現代で聖書を読む私たちに向けられた「フラグ」でもあったのです。
人が生きて行く際には自分の思うようになることは少なく、辛く悲しいことの方が多いものです。そして、こうした世の中で生き抜いて行くためには、強い覚悟や情熱が必要です。その覚悟や情熱を支えるものとは、信念、愛、信仰、祈り、なのです。これからも多くの分岐点に出会うでしょう。多くは失望に終わるかもしれません。しかし、心配することはありません、その先には必ず得るものがあるでしょう。なぜなら、イエスが立てたフラグには「復活」も明示されていたのですから。

短大の学生として学ぶのは二年間ですから学生時代はあっという間に過ぎて行きます。しかし、新島短大で学んだ後には長い人生が待っています。これから皆さん御自身が出会うであろう人生の分岐点で、進む道を選択する際の良いアドバイスとなりました。朝日先生、本日は素敵な歌声と共に、貴重なお話しをありがとうございました。

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